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【古銭・27枚】未整理◆断捨離まとめて◆詳細不明◆在庫江戸期文明開化幕末明治維新貨幣紙幣硬貨アンティークレトロJAPAN日本メダルコイン
        

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    :2026年01月11日 09時08分
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江戸時代の三貨制度(えどじだいのさんかせいど、Tokugawa coinage)とは、江戸時代の日本において金(小判、一分判)、銀(丁銀、豆板銀)および銭(寛永通寳)という基本通貨が併行流通した貨幣制度のことである。

これらの金貨、銀貨および銭貨の間には幕府の触書による御定相場も存在したが、実態は互いに変動相場で取引されるというものであり、両替商という金融業が発達する礎を築いた。金・銀・銭とは別に、藩札などの紙幣も流通していたが、日本全国で通用する紙幣はなかった。

幕府は公式に「三貨制度」として触書を出したわけではないが、「三貨」という用語は文化12年(1815年)に両替屋を営んでいた草間直方が貨幣学研究の集大成として刊行した『三貨図彙』に見られる[1]。

なお、「江戸時代の三貨制度」と呼ばれているものの、江戸時代の期間は徳川家康が征夷大将軍に任命されて幕府を樹立した慶長8年(1603年)から、慶応から明治に改元された明治元年(1868年)とするのが主流の学説であるのに対し、三貨制度が用いられた期間は関ヶ原の戦いの直後(慶長5年(1600年)ないし慶長6年(1601年))から明治4年(1871年)の新貨条例が制定されるまでの270年間にも及ぶため[2]、実際には江戸時代を(前後数年程度とはいえ)超えた期間に渡って使われたことになる。

三貨制度の興り
三貨制度は徳川幕府により確立されたものであり、織田信長も既に金1両=銀7.5両=銭1500文とする三貨制度の構想を持っていたが、戦乱の時代にあってこの頃の武将らには貨幣阿堵物観が強く貨幣制度の整備にはそれほど積極的でなかった。豊臣秀吉も天正期に金銀貨の鋳造を命じているが、これも恩賞用の域を出るものではなかった。大口取引に秤量貨幣としての金銀貨を使用する貨幣経済はこの頃より商人を中心として発展し始め、また貴族および寺院が貢租や賜物として取得した金銀を銭貨に両替し、あるいは遠隔地への支払いおよび諸物の購入のための判金の需要が生じ、金屋(かねや)および銀屋(かねや)といった金銀の精錬および両替を行うものが現れ始めた[3]。江戸幕府においても貨幣の鋳造という業務を商人に委託したのもこういった背景があった[4]。

また貨幣経済の拡大に伴い銭貨では取引に限界が生じ、また銭貨は長年の流通により鐚銭が多くを占めるようになったことから撰銭の慣行が出始めたため、貴金属による価値の裏付のある金貨および銀貨の需要が高まったとの説もある[5]。

家康がまず金貨および銀貨の整備を行ったのは、戦国大名にとって金山および銀山を手中に納めることが戦力を増強し天下を掌握する重要な戦略の一つであったという背景がある。そのため銭貨の整備は約35年遅れることとなり、渡来銭を駆逐し寛永通寳が充分に行き渡ったのは、関ヶ原の戦いから半世紀以上後の寛文年間のことであった。一方金銀貨についても特に銀の貿易による流出などにより慶長金銀が全国的に充分行き渡る状況にはなく、依然として領国貨幣の流通が並行し、領国貨幣を回収して通貨の統一を達成したのは元禄の吹替えのときであった[6]。

古くは760年に恵美押勝(藤原仲麻呂)が鋳造を命じた萬年通寳、大平元寳および開基勝寳があり、これを三貨と呼ぶこともあるが[7]、貨幣経済の発達が充分でなかった時代にあって、大平元寳および開基勝寳は銅銭の名目価値を高く設定するための金貨および銀貨であり一般に流通させる目的のものではなかった[8]。

慶長小判
慶長小判
慶長一分判
慶長一分判
金貨の通貨単位は両(りょう)であり、補助単位として1/4両にあたる分(ぶ)、1/4分にあたる朱(しゅ)があり、この4進法の通貨単位は、武田信玄が鋳造を命じたとされる甲斐国の領国貨幣である甲州金の通貨体系を踏襲したものであった[9]。

基本通貨は計数貨幣である金一両の小判とその1/4の量目の一分判であるが、元禄期には小判の1/8の二朱判が登場し、江戸時代後半には小判に対し金含有量の劣る、五両判、二分判、二朱判および一朱判も発行された。さらに明和期に登場した南鐐二朱銀を皮切りに一分銀および一朱銀など本来金貨の単位であった、分および朱を単位とする計数貨幣が発行されるに至った。これらは「金代わり通用の銀」[10]あるいは「金称呼定位銀貨」とも呼ばれる[11]。現代の古銭収集においては、二分判(二分金)、一分判(一分金)、二朱判(二朱金)および一朱判(一朱金)といった、長方形(一朱判は正方形)の金貨を総称して「分金」、一分銀、南鐐二朱銀および一朱銀といった長方形の金貨単位の銀貨を総称して「分銀」、これらをまとめて「分金銀類」と呼ぶことがある。

中世の日本において東北地方を中心に砂金の採取が行われるようになり、砂金を目方に応じて高額取引に使用したのが金貨の流通の始まりであった。やがて砂金を鎔融して吹金あるいは練金と呼ばれる金錠が用いられるようになり、さらに中身まで金でできていることを証明するために叩き伸ばし判金としたものが用いられるようになった。戦国時代は金貨は大判が主流を占め、これは恩賞、贈答あるいは高額の借金を大判として返すしきたりがあるなど、特殊な用途に限られていたが[12][13]、徳川家康は1600年頃、産金の増大に加えて中国からの金錠の輸入により金準備が整ったとして、より小額で、墨書を極印に改め、一般流通を目的とした小判を発行するに至ったとされる[14][15]。

なお大判は金一枚(四十四匁)を単位とするもので恩賞および贈答に用いられるものであり、本来通貨として一般流通する目的のものではなかったが、市場に流れることもあり相場に応じて取引された[13]。

計算上の金貨の通貨単位の表し方として、「永~文」というものもあり、永一文は1/1000両に相当し、朱未満の端数の計算や、永高による年貢額の表示に用いられた。この「永」の名称は寛永通宝発行以前の時代に流通していた永楽通宝の名残である。幕府の発行した1朱未満の金貨単位の金属貨幣は存在しないが、藩札では1朱未満の金貨単位の金額が「永銭~文」の形で表示された例がある(地方貨幣の金属貨幣では、「永銭~文」の形ではないが、1朱未満の金貨単位の金額としては「琉球通宝半朱」の例がある)。

慶長丁銀
慶長丁銀
慶長豆板銀
慶長豆板銀
銀貨は量目不定の丁銀および豆板銀と、天秤で目方を定めて通用する秤量貨幣が基本通貨であり、通貨単位は天秤秤による測定値、すなわち質量単位である、貫(かん)、匁(もんめ)および分(ふん)が用いられた。銀1貫は銀1000匁、銀1匁は銀10分である。また「銀20匁」など、20匁以上で下一桁が0である場合、「銀20目」と表すのが一般的であった。

特に丁銀は裸銀として使用されることはほとんどなく[16][17][18]、500匁毎に和紙で包んだ包銀として用いられることが多かった[19]。一方豆板銀は携帯に便利な銀秤を用いて取引に用いられることもしばしばであった[20]。

銀貨も中世の頃から灰吹銀およびそれに極印を打った極印銀が目方に応じて高額取引に使用され、金貨と同様にこれらを打ち伸ばしたのであるが、金と異なり不純物の関係で銀は脆く、薄い板に延ばそうとするとひび割れるため、譲葉あるいはナマコ型の丁銀となった。このような丁銀、および豆板銀(明和年間の金貨単位の計数銀貨の登場以降はそれも)の鋳造を行う銀座は秀吉が堺、京都の銀吹屋を集めて大坂に常是座を設けたことにより始まったとされる[21]。

また灰吹法の導入により16世紀後半から石見銀山を始めとして日本各地で銀の産出が増大し、さらに生糸などの貿易先として重要であった中国において銀錠が大口取引に使用されていたことも影響して、銀が大坂を中心とする商人により盛んに使用されるようになった。家康はこのような銀を取引の中心とする商人の力を無視することができず、金貨の使用を強制するよりは既存の体制を継承して貨幣制度の整備を進める道を選択した[22]。

恩賞および贈答には銀一枚(四十三匁)とする単位の包銀が用いられた[22]。

明和年間に登場した南鐐二朱銀や、一分銀、一朱銀といった貨幣は、材質上は銀貨でありながら、「銀~匁」という銀目を直接表すものではなく、金貨の単位で表された計数貨幣である。こうした金貨単位の計数銀貨の台頭以降、丁銀および豆板銀の発行は次第に衰退し、銀目取引は手形および藩札に中心が移っていき[23]、金額の表示上は銀目で示されていても、実際の金属貨幣による支払いには金貨・金貨単位の計数銀貨および銭貨で行うことが多くなり、幕末期に至っては丁銀や豆板銀は市中にほとんど流通していない状態となり、日常的には銀目は帳簿・藩札・手形・店頭での価格表示などに見られる計算単位でしかないという感覚となっていった。これを銀目の空位化と呼ぶ。

寛永通寳
寛永通寳
寛永通寳文銭
寛永通寳文銭
銭貨は鋳造による穴銭一枚を一文(もん)とする計数貨幣であり、銭1000文を銭1貫文(かんもん)とする通貨単位であった。

通貨単位としての文の歴史は古く日本では皇朝十二銭より始まるが、この頃はまだ全国的に広く流通するというものではなかった。皇朝十二銭の鋳造が途絶えてしばらくして、経済が発達するにつれ貨幣の需要が高まるが、その後の鎌倉幕府および室町幕府は貨幣を発行するまでには至らず、貿易により宋銭を始めとする中国の銭貨が多量に輸入され流通するという、渡来銭の時代が数百年続いた[24]。

金貨および銀貨が家康により関ヶ原の戦いの直後から整備されたのに対し、銭貨については江戸時代初期に慶長通寳および元和通寳の発行はあったものの、これらは少量にとどまり依然渡来銭の流通は続いた。また、経済の中心であった上方では鐚銭が用いられており、永楽銭を通用させてきた徳川氏領国(=関東地方)は特殊な存在であった。このため、家康は鐚銭を銭貨の基準に充てて、徳川氏領国で用いられてきた永楽銭の使用を停止していく方針を採り、慶長通寶も鐚銭と同価値で鋳造され、寛永通寶へと継承されていく[25]。寛永通寳が本格的に幕府主導で発行されるようになったのは3代の徳川家光の時代、すなわち寛永13年(1636年)以降であった[26][27]。

基本通貨は銅一文銭であるが、銅地金の逼迫あるいは幕府の財政事情により寳永通寳の十文銭の発行が企てられたこともあり、明和期以降は寛永通寳真鍮四文銭および鉄一文銭が定着した。幕末には、百文銭である天保通寳が流通の主流を占めるようになり、更に寛永通寳鉄四文銭や文久永寳が発行された。

銭貨は穴を紐に通してまとめた銭緡(ぜにさし)として用いられることもあり、96枚を100文として用いる省陌法が一般的な慣行であった[28][29][30]。

貨幣の鋳造および発行
江戸時代に貨幣の鋳造を担ったのは、金貨は金座、銀貨は銀座、銭貨は銭座であった。金座は後藤庄三郎を御金改役として江戸を中心とし、京都、佐渡にも鋳造所が設けられ、銀座は大黒常是が御銀改役となり京都を中心として江戸京橋でも鋳造が行われ、大坂、長崎にも役所が置かれていたが、寛政年間以降は江戸蛎殻町に集約された。銭座は日本各地に設置されたが、常設のものではなかった。また大判座は当初後藤宗家のあった京都に開設されていたが、明暦期あるいは元禄期以降は江戸の後藤役所が中心となり、やはり常設のものではなかった。

これらの機関は勘定奉行の監督下に置かれたが、直接発行を担ったのは幕府ではなく、金座は後藤家および金座人、銀座は大黒常是および銀座人と、特許を得た御用達町人であり、銭座は銭貨需要が生じる毎に公募された町人による請負事業であった[31][32]。

金貨および銀貨の鋳造は天領の金山(佐渡金山)および銀山(石見銀山、生野銀山など)から産出される地金を金座および銀座が預り、貨幣に鋳造し勘定所に納め、その一部を分一金あるいは分一銀として金座および銀座が受取る御用達形式と、金座人あるいは銀座人が自己責任で金銀地金を買い集め貨幣に鋳造し一部を運上として幕府に納める自家営業方式があった[33][34]。銭座については銭貨材料を自己責任で買い集めて銭貨を鋳造して両替屋に売却し、一部を幕府に運上するというものであった[32]。

慶長金銀は小判師あるいは銀細工師らが自宅で貨幣の形に加工したものを後藤役所あるいは常是役所に持参し品位、量目を改めた上で極印打ちを受ける「手前吹」形式であったが、元禄金銀では本郷の大根畑に吹所を設けて職人を集めて鋳造を行う「直吹」方式となった。本郷における鋳造は火災により元禄11年(1698年)に終了したが、以降、職人らは金座および銀座に集められ鋳造が行われた[35]。

請負い形式であった銭座も明和2年(1765年)以降、金座および銀座の監督下に置かれ、幕府による統制が強化された。さらに松平定信による寛政の改革の一環として金座では寛政2年(1790年)頃、銀座では寛政12年(1800年)に粛正が実施され、幕府による統制が強化された[36]。

流通状況
「江戸の金遣い」とされる通り金貨は主に江戸を中心として流通し、大名および上級武士が大口取引のために小判を使用した。また、西日本の端にあった薩摩藩は銀遣いが一般的な西日本において金遣いを採用していた例外地域であったが、清などとの対外交易では銀貨を用いていた[25]。一方「上方の銀遣い」とされる通り秤量銀貨は大坂を中心とする西日本から東北の広い範囲で流通し、銀貨は主に商人が大口取引に用い、商品相場は銀建で表されるのが常であった[37]。

大口取引にはこのように金貨および銀貨が用いられたが、一般の小売には銭貨が主として用いられ、庶民は銭貨および稀に豆板銀を手にする程度であった[20]。このような住み分けは決して制度として確立されたものではなく自然発生的に形成されたものであった。

また、銭貨は金遣いの地域、銀遣いの地域の両方で通用する貨幣であり、単なる小口貨幣・補助貨幣の役割を越えて、全国通貨としての性格も有した。銭貨の場合には重量があり元来は遠隔取引には向かなかったが、海運の発展により船舶に大量の銅銭を載せて航行する事も可能になり、例えば銀遣いの地域である九州の船持商人が大量の銭を載せて金遣い地域の松前に向かい銭貨によって現地の産品を購入することで両替の手間を省くようなことも行われた[25]。

以下に『新旧金銀貨幣鋳造高并流通年度取調書』に基づく金貨および銀貨の時代別流通高および『図録 日本の貨幣』による銭貨鋳造高の推定値を示す[38][39][40]。元禄・宝永の吹替えにより宝永3年(1706年)から正徳4年(1714年)にかけて通貨量が拡大し、正徳の吹替えによりデフレーションに陥り元文元年(1736年)に通貨量が縮小した状況が窺える。また文政年間以降は小判および丁銀の流通高が減少し、代わって定位貨幣が増加すると共に通貨量が著しく拡大したことが判る。

小判および定位貨幣の流通高
元禄8年(1695年) 10,627,055両
宝永3年(1706年) 14,036,220両
宝永7年(1710年) 13,512,484両
正徳4年(1714年) 11,995,610両
元文元年(1736年) 8,742,096両
安永元年(1772年) 18,698,215両 小判
文政元年(1818年) 24,631,215両
天保3年(1832年) 40,206,600両
安政元年(1854年) 48,556,952両
万延元年(1860年) 82,262,552両
明治2年(1869年) 126,837,932両 定位金貨定位銀貨
丁銀・豆板銀の流通高
元禄8年(1695年) 157,059貫
宝永3年(1706年) 405,850貫
宝永7年(1710年) 394,175貫
正徳4年(1714年) 777,563貫
元文元年(1736年) 331,025貫
安永元年(1772年) 526,783貫
文政元年(1818年) 526,783貫
天保3年(1832年) 381,448貫
安政元年(1854年) 234,091貫
万延元年(1860年) 234,558貫
明治2年(1869年) 210,702貫
銭貨の鋳造高
寛永年間(銅一文銭) 2,750,000貫文
明暦・万治(銅一文銭) 500,000貫文
寛文〜天和(銅一文銭) 1,970,000貫文
元禄・宝永(銅一文銭) 2,080,000貫文
正徳(銅一文銭) 680,000貫文
享保(銅一文銭) 2,000,000貫文
元文〜延享(一文銭) 6,760,000貫文
明和〜天明(鉄一文銭) 5,250,000貫文
明和〜天明(四文銭) 22,150,000貫文 〔ママ〕
文政(四文銭) 320,000貫文
天保(百文銭) 3,973,520貫文
弘化〜万延(百文銭) 35,647,710貫文
慶應・明治(百文銭) 8,859,175貫文
明和期の四文銭鋳造高は『新旧金銀貨幣鋳造高并流通年度取調書』の数値と著しく矛盾し、過大評価されている可能性あり。

名目価値と実質価値

元禄小判

元禄丁銀

寛永通寳京都七条銭(荻原銭)
金一両とは京目一両(4.4匁)の金が本来の定義である。しかし慶長小判の金含有量においても1割弱の金座における鋳造手数料が差し引かれたものとなっている[41][42]。

一方、当時の金および銀地金の取引相場については、例えば最高品位の銀地金は品位80%の慶長丁銀の1割増を持って買い入れるなど価格が定められていたが、江戸時代の金銀地金の取引というものは金座および銀座という、利益の独占的収受という特許を得た組織によるものであった[33]。

強いていうならば京目一両の金をもって金一両とするというのが金平価と言うべきものであるが、この時代、幕府は金本位制および銀本位制を特に定めたわけではなく、金銀含有量に基づく相場が形成されたことは本位貨幣制度的なものが自然に形成されたと解釈できる。また江戸時代の貨幣は何れも通用制限額が設定されることはなかった[43]。

また元禄小判以降の産金の減少および幕府の財政事情により金品位が低下した小判においても、建前上は一両は一両として慶長小判と等価に通用すべきものとして定められた。丁銀においても同様で銀品位は低下しても銀は銀として建前上は慶長丁銀と等価に通用すべきものであった。品位の下げられた金貨および銀貨には丸枠に「元」あるいは「文」など年代印が打たれ区別に便宜が図られ、その一方で正徳金銀および享保金銀は基本的に慶長金銀と同位であるから年代印は打たれなかった[44]。

このような貨幣の品位の低下を伴う吹替えは、寛文年間頃より仕事の減少した金座および銀座から申し出があったものを、荻原重秀が正式に採用し元禄8年(1695年)に初めて行われたのであるが、重秀の「貨幣は国家の造る所、瓦礫を以て之にかえるといえども行うべし。今鋳るところの銅は悪薄といえども、なお紙鈔に勝れり。之を行ひとぐべし」という、国家権力をもって通貨の価値を維持し通用させるという今日の管理通貨制度の下では当然のこととされるこの政策も、実質価値を重視する商人が経済を牛耳っていた当時としては斬新過ぎ、時期尚早であった。

元禄の改鋳では品位は低下しても新旧差別無きよう通用させる触書であったが、現実にはグレシャムの法則が作動し、高品位の慶長金銀は退蔵され、低品位の元禄金銀のみ流通するといった現象が見られ、品位の高い貨幣に対し増歩通用を認めて初めて旧貨も流通した。また享保期に品位の異なる元禄銀、宝永銀および慶長・正徳銀が混在通用した際、それぞれ銀含有量に基づいて通用価値が決まった例[45][46]を筆頭に、江戸時代の金銀貨というものは額面よりもむしろ金銀含有量に基づく実質価値に近い形で自然に相場が形成されていくのが常であった。敢えて言うならば貨幣に含まれる金銀量と相場に基づく取引価格が金銀地金の自由相場に近いものということになる。

額面表記による名目貨幣である一分銀のような貨幣が定着し、貨幣が地金価値に依存しない額面により通用するようになったのは、金貨を中心とした貨幣制度が確立した天保期以降であったとの見方もある[47] 。しかしこの信用貨幣としての貨幣体系もその後、安政6年(1859年)の開港に伴う小判流出により瓦解することとなる。依然、当時の世界の大勢は信用貨幣としての金銀貨が認められる状況になく、その後、近代に入っても銀本位制および金本位制の時代が続く状勢にあった。
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